9 こだわりの 寺社

2010年1月31日 (日)

大将軍神社の謎1 東山三条

Img_8522a

本格的に京都各地を歩き始めた頃、いくつかの「大将軍神社」に出会いました。いずれも観光客の姿をほとんど見かけず、地味な境内にあまり気に留めていませんでした。上の東山三条交差点から西に一筋、南に一筋下がった処に、大将軍神社の一つがあります。

Img_8525a

大将軍神社の由緒が、平安京造営当時に大内裏を鎮護するためにまつられた神社であることを知ったのは、ずっと後のことです。

Img_8526a

垣武天皇が平安京を造営したとき、大内裏の鎮護のため四方四隅に素盞嗚尊(すさのおのみこと)を祀った大将軍神牡のうち、東南隅の一つがこの神社とされています。

Img_8527a

この地は、平安京の東の入り口(三条口あるいは粟田口)の要地にあたり、邪霊の侵入を防ぐために重視されました。

Img_8535a

平安時代中期には、この辺りに関白太政大臣となった藤原兼家の邸宅、東三条殿が建てられました。のちに、子の藤原道長が父の神像を画いて合祀し東三条殿の鎮守としたとされます。

Img_8532a

応仁の乱で東三条殿は破壊されてしまいましたが、境内には菅原道真公を祀る東三條社(天満宮)としてその邸跡を示しています。、

Img_8530a

ところで、江戸時代の百科事典ともいうべき「和漢三才図会」には、大将軍神社の位置を「東は岡崎・・」と書かれています。ここは岡崎から近いとはいえ、岡崎神社の方がぴったりです。実際に、岡崎神社(下の写真)の由緒によると、王城鎮護のため平安京の四方に建立された社の一つで、都の東に鎮座することから東天王と称したとされています。

Dsh_7224a

岡崎神社とこの大将軍神社はどのような関係なのでしょうか。桓武天皇は王城鎮護のために、その四隅に大将軍神社、四方に四天王を祀ったということなのでしょうか。

Img_8534a

京都には他にも王城を守護するためとされる寺社が沢山あります。桓武天皇がこれほどまでに恐れていたものは何だったのでしょうか。

Img_8531a

つれづれ編は今年初めての更新ですが、これからもよろしくお願いします。

--------------------------------------------------------
ブログランキングに参加しています。是非宜しく。→ Banner_04

             こちらもクリック宜しくお願いします。にほんブログ村 地域生活(都道府県)ブログ 京都情報へ
--------------------------------------------------------

Img_8536a   

| | コメント (0)

2008年5月 8日 (木)

哲学の道 幸せ地蔵尊

哲学の道を銀閣寺の方から5分くらい歩くと、橋の向こうの赤いノボリが目につきます。これが彌勒院の幸せ地蔵尊です。写真の多くは4月の早朝ですが、一部他の季節も交じっています。

Iml_8424a_2

ここのお地蔵さんは、子供を抱いた木造の「子安地蔵」です。室町の呉服商が所持していたものが、戦時中には弥勒院に預けられて本堂に安置されていたそうです。5月

Imk_2384a

20数年前の台風で壊れた土塀を修理するときに、道沿いに新しくお堂を建てて移っていただいたそうです。 お地蔵さんは道ばたに立って人を助けるから、奥に置いていてはいけない、という言い伝えをようやく実現したというわけです。

Imk_2384b

その後、幸せを呼ぶご利益があるという話がひろまり、桜や紅葉の頃には前にある橋の半ばまで参拝客が並ぶようになりました。11月

Dsc_3103a

ところで、この日は隣の弥勒院の門が開いていたので中に入ってみました。弥勒院は、山号を祥雲山といい、聖護院門跡を大本山とする本山修験宗(山伏)のお寺です。

Dsd_8621a

元は聖護院の付近にあり、昭和の初期に現在の場所に移ってきたということです。お寺のおかみさんは親切な方で、本堂の戸を開けてくださいました。ご本尊の写真は遠慮して撮っていません。

Dsd_8614a

8月の終わりには護摩法要があり、大勢の山伏が境内に集まります。空に向かって矢を射る法弓の儀や護摩焚きがあり、境内は煙につつまれるそうです。一度見てみたいものです。普段の境内は生活感があり、外の哲学の道を眺めるとこんな感じです。

Iml_8428b

境内には小さなチューリップ畑があり、疏水脇の花もおかみさんが手入れしているようです。

Dsd_8617a

門前の出店では、「京都で二番目に美味しいほんまもんのわらび餅」を売っています。11月 

Dsc_3111a

Dsc40842a

再び4月早朝

Iml_8433a

Iml_8437a   

お越しいただき、ありがとうございました。お帰りの際には↓をよろしく!

--------------------------------------------------------
新しくブログランキングに参加しました。是非宜しく。→ Banner_04

               こちらもクリック宜しくお願いします。にほんブログ村 旅行ブログ 国内旅行へ
--------------------------------------------------------

Imk_2382a

| | コメント (4)

2008年3月26日 (水)

剣神社

ある秋の日、泉涌寺に行く途中で見つけた「鳥戸野」という字が気になって、立ち寄ってみることにしました。

Imh_5210a

ところが、東山方面に向って歩いていっても目当ての参道が見つかりません。坂道を15分も登ると親鸞聖人の荼毘所(大谷派)がある延仁寺まで来てしまいました。このお寺からの見晴らしはなかなかよかったのですが、結局、泉涌寺の森の方向に向かって坂を下りて行くことにしました。しばらくすると、剣道(つるぎみち)という面白い名前の道の途中で剣神社を見つけました。

Imh_5250a

剣神社の創建は古く、平安遷都の際に王城鎮護のため都の巽(東南)の地に宝剣を埋め、 そこに神殿を造営したことが始まりと伝えられている。実際は、その起原は詳かではない。

Imh_5251a

Imh_5252a

この地一帯は鳥戸野とよばれ、そこから鏡や剣が偶然発掘されたのを、神恩として神社として奉祀したのではないかという説もある。写真は「撫石」。

Imh_5272a

東山七条の東の峰を阿弥陀が峰といい、その峰の南西一帯を鳥戸野(とりべの)、北西の一帯を鳥辺野(とりべの)と字を変え、両方を合わせて鳥部野(とりべの)という字を当てるそうです。鳥戸野の地は高貴な方々の葬地であったのに対し、鳥辺野は庶民の葬地であった。

Imh_5255a

現在の剣神社は、こどもの健康の護神、疳虫封じの神として信仰され、市内だけなく大阪・神戸又、滋賀からも参詣があるとのこと。

Imh_5269a

Imh_5268a

社頭にはとび魚の絵馬が多数奉納されており、 この絵馬は絵馬蒐集の好事家の間に評判が高いそうです(石子順造著「小絵馬図譜」より)。

Imh_5264a

小さな神社でしたが、平安の都ができた頃に思いをはせるに十分な雰囲気がありました。

Imh_5260a

この地は一昔前までは、 ぼととぎすの名所として、文人墨客が好んで杖をひいたところであったが、近時すっかり市街地化して昔を偲ぶことはできない。 しかし、剣神社から観音寺(今熊野観音)への道は、なお静かなたたずまいをとどめ捨てがたいものがある。
剣神社のすぐそばに、泉涌寺への道がありました。

Imh_5277a

ところで、泉涌寺へ行く途中でようやく鳥戸野陵参道を見つけました。鳥戸野陵には一条天皇の皇后定子が葬られている。皇后に仕え、寵愛された清少納言はこの近くで生まれ育ち、皇后が葬られた後は御陵に詣でつつ晩年を過ごしたといわれている。このあたりは、清少納言が通った道だったのです。

Imh_5285a       

お越しいただき、ありがとうございました。お帰りの際には↓をよろしく!

--------------------------------------------------------
新しくブログランキングに参加しました。是非宜しく。→ Banner_04

               こちらもクリック宜しくお願いします。にほんブログ村 旅行ブログ 国内旅行へ
--------------------------------------------------------

Imh_5259a

| | コメント (2)

2008年3月19日 (水)

京の眺望9 神応寺

京阪八幡駅からすぐ近くに神応寺があります。同じ名前のお寺は他にもいくつかあるそうですが、このお寺の由緒は古く書院からの見晴らしは見事です。

石清水八幡宮の鳥居の横に道しるべがあります。

Dsc_3772a

この日はお祭りで自由に拝観できましたが、普段は事前に連絡が必要とのことです。(075-981-2109)

Imk_8178a

階段を上ってまっすぐ行くと、杉山谷不動尊に行きます。ここは、谷不動ともいわれ、「厄除け不動」として人々に信仰されている。平安時代の初期、危害を加える悪鬼が出没し、人々を悩ませていたという。たまたま、諸国を行脚中の弘法大師が法力によって悪鬼を封じた。そして、十一面観音菩薩と自身の彫像を刻んで安置し、諸人を護った。また、一説には八幡神を男山に勧請した行教律師が男山の鎮守として建立したともいわれている。

Dsc_3780b

杉山谷不動尊に行く途中から神応寺に登る急な階段があります。本堂前ではアトラクション。

Imk_8232a

神応寺
貞観2年(860年)、石清水八幡宮を勧請した行教律師が応神天皇の霊を奉安して建立した寺であるが、後に天皇の号をはばかって「神應寺」と改めた。はじめは四衆兼学の道場であったが、現在は曹洞宗に属している。

Imk_8235a

文禄年間(1592-1596)、征韓の役にあって豊臣秀吉は、石清水八幡宮に詣で、軍の先鋒にと八幡宮の神官を望んだが、神社側は恐れて命に服さなかった。秀吉は機嫌を損ねたが、神應寺の住僧の機転により、征韓の首途にはまず応神天皇の御寺に参詣すべきことを進言したので秀吉は機嫌を直し、寺領200石を寄進したという。

Imk_8272a

堂内には本尊薬師如来、日光・月光像、秀吉の位冠束帯の像があり、さらに特異な風貌を現した行教律師座像(重要文化財)が安置されている。書院は伏見城の遺構と伝えられ、上段の間に違い棚を設け、金具には菊花・太閤桐、襖戸杉戸には狩野山雪の筆による「竹に虎」「御所車(重要文化財)」が描かれている。

Imk_8258a

ここからは、八幡市から京都市南部が見渡せます。

Imk_8264a

Imk_8263a

Dsc_3818a

こちらは、大山崎方面。前回紹介した大山崎山荘美術館からの眺めはこちら

Dsc_3836a

名神高速の向こうに京都タワーが見えます。

Dsc_3837a

このあたりは、木津川、淀川、桂川の合流地点です。

Dsc_3839a

手前の鉄橋は京阪電車

Dsc_3842a

境内横の道をさらに上ると墓地があり、淀屋橋に名が残っている江戸時代の豪商、淀屋辰五郎や、飛行機の発明家二宮忠八の墓があります(飛行神社の記事はこちら)。このあたりからは視界が開けて、一層眺めはよくなります。

Imk_8293a         

お越しいただき、ありがとうございました。お帰りの際には↓をよろしく!

--------------------------------------------------------
新しくブログランキングに参加しました。是非宜しく。→ Banner_04

               こちらもクリック宜しくお願いします。にほんブログ村 旅行ブログ 国内旅行へ
--------------------------------------------------------

Dsc_3841a

| | コメント (0)