11 名水・滝めぐりなど

2009年1月25日 (日)

京の名水6 京都御苑界隈2

前回の記事の最後は御苑内にある宗像神社でしたが、実はその前に御苑の西にある二つの神社を訪れました。北西にある蛤御門から出ると、土御門内裏跡の碑があります。これは、平安末期に鳥羽・崇徳・近衛の3天皇の里内裏(平安京内裏の外に臨時に設けられた皇居)があったところ。現在は、ブライダルホテルがあります。

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すぐ南に、「いのしし神社」として知られる護王神社があります。平安京の造営に貢献した和気清麻呂と和気広虫を祀っています。境内には清麻呂の難を救った猪にちなみ、狛いのししや、猪のコレクション、猪の絵馬?などがあります。

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この神社には、「霊猪(れいちょ)の手水舎」があります。

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龍の水口はよく見かけますが、この神社は猪づくしです。

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さらに南に行くと、「烏丸の天神さん」として知られる菅原院天満宮神社があります。ここは、菅原氏の邸宅「菅原院」があったところで、菅原道真とその父祖が祀られています。

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右手の社務所の横に、菅原道真の産湯につかったと伝えられる「菅公初湯井」があります。

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この後、下立売御門からもう一度御苑に入り宗像神社(前回の記事)に向かいました。

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この後、御苑の南にある九條池に来ました。向こうに見えるのは拾翠亭という茶室。池と茶室は五摂家の一つであった九條家の庭園の遺構。茶室は今でも茶会に使われ、一般公開もしているとのこと。庭には三つの井戸があるそうです。

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ここから、堺町御門を出ていよいよ最終目的地に向かいます。

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キンシ正宗堀野記念館です。天明元年(1781年)にキンシ正宗の創業者堀野家の本宅として建てられた。酒造りの拠点が伏見に移された後も、造り酒屋のたたずまいと町家文化の設えを当時のまま残し、平成12年には京都市の有形文化財に指定。

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こちらは隣の直営レストラン「堺町 ほっこり」です。できたての地ビールや純米大吟醸酒とそれらにあう料理がいただけるそうです。

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記念館に入ると、江戸期の酒蔵と当時の酒造り道具が保存してあります。

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ここでは、酒造りの手順をわかりやすく説明していただけます。

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中庭に出ると、「桃乃井」があります。大きな桃の木の下にあることから名付けられ、創業以来酒造りに使われてきました。「染井の水」と同じ水脈で、1年を通して水温16度、くせがなく軟らかな口当たりが特徴。周辺の有名料亭も毎日汲みに訪れるとのこと。向こうに見える蔵は文庫蔵で、当時の資料を展示しています。

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玄関の左手にある帳場や座敷も見せていただけます。2階に上がると、本座敷があります。向こうには五畳ほどの「鞘の間」といわれる部屋があり、大切な客人を楽しませるため、舞などが行える舞台として設けられたとのこと。

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昔のポスターが展示されていました。

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突き当りは、住み込みの人が寝起きをする部屋。町家の多くは二階が低く、ロフトのような造りになっています。通りに面している窓は格子を土で塗り込められており、虫籠のように見えることから、虫籠窓(むしこまど)と呼ばれるそうです。

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2階から売店がある土間をみたところ。手前に内井戸の滑車とつるべが見えます。

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最後に、ビールとお酒の試飲ができます。それぞれ複数を選んでくれます。あまりお酒はいただきませんが、地ビールと大吟醸酒はさすがに美味しかったです。

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外に出ると、日が暮れて暗くなっていました。案内をしていただいた鈴木康久さん、ありがとうございました。

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2009年1月18日 (日)

京の名水5 御所三名水

前回の記事の続きで、梨木神社を出て清和院御門から京都御苑に入ります。ここには、御所三名水を初めとして、いくつかの井戸(跡)があります。以下の説明は案内していただいた鈴木康久さんの説明や頂いた冊子(カッパ研究会)を参考にしています。

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門を入ってすぐ右にある小路を北に向かいます。落葉と焚火の煙が初冬の風情です。

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迎賓館の塀

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この路の途中に「染殿井」があります。藤原義房(804-872)の娘 明子(染殿皇后)の御所、染殿院があったことから名づけられた。同様の梨木神社の「染井」は有名ですが、こちらは近年に名づけれれた可能性があるとのこと。
ちなみに、染殿皇后は清和天皇の生母で、清和天皇は譲位後ここに移り清和院と称されたことが清和院御門の由来。

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さらに北に行き、御苑の北東にある中山邸跡の中に「祐井」(さちのい)があります。
明治天皇は中山忠能の娘・慶子を母としてこの地に生まれ、祐宮(さちのみや)と命名された。井戸は、明治天皇2歳の頃、嘉永7年(1854)の大干ばつのときに掘られたものとする説が有力。

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柵の中に入ることはできませんが、隙間から覗くと奥に「祐井」が見えます。

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ここから、広い道を西に向かいます。

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ちょっと話がかわりますが、御所の塀にはいたるところに監視カメラが設置してあり、近づくと即座にマイクで注意されます。

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御苑の北西にある乾御門の南側に五摂家のひとつの一條家の屋敷跡があります。

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小路を南に行き、宮内庁事務所の裏あたりに「縣井」(あがたい)があります。
「縣井」は京都の三名水のひとつ。

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昔この場所に縣宮という社があり、地方官吏として出世を願うものは、この井戸で身を清めて宮中にのぼったとか。平安中期の大和物語にも出てくるそうです。

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さらに南に行くと、御苑の南西部に宗像神社があります。その中に祇園祭とゆかりのある「少将井神社」(一番右の祠)があります。

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現在は四条京極に八坂神社の四条御旅所があり、祇園祭のときに3基の神輿が安置されます。ところが、昔は大政所御旅所に2基、少将井御旅所では井戸の上に少将井神輿(櫛稲田姫命)を安置したそうです。京都新聞社が移転して少将井御旅所が廃止されたおりに、氏子の方がお参りしやすいようにと宗像神社が預かったということです。

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いまでも祇園祭の還幸祭の7月24日には八坂神社の神職がお参りにくるそうです。(八坂神社と宗像神社のHPより)

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この界隈の名水めぐりはまだ続きます。

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2009年1月12日 (月)

京の名水4 京都御苑界隈1

昨年暮れの穏やかな日差しの日、京都御苑かいわいを、名水や水にゆかりの場所を訪ねて歩きました。案内をしてくださったのは、京都の水文化を研究している「カッパ研究会」世話人の鈴木康久さんです。

出発点の京都七福神のひとつ、出町妙音弁財天です。出町橋の西のこのあたりは、「鯖街道」の終点でもあります。

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この弁財天の手水場の水は、年間を通じて一定の摂氏16度の地下水だそうです。この日は水道水より温かく感じました。逆に、夏は冷たく感じるそうです。高野川と賀茂川の水質の違いや、このあたりの地下水の特徴などを教えていただきました。

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拝殿には、弁財天のお使いとされる白蛇の絵馬が飾られています。弁財天はインドの川の神様が仏教に取り入れられたものといわれ、蛇は水辺にいるのでその化身とされているそうです。

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この後、次の目的地に向かう途中で、豆腐の老舗といわれた丁子屋さんの前を通りました。出町のこのあたりは、良質の地下水を使った豆腐屋さんが有名だったそうです。この丁子屋さんは、現在は豆腐作りををやめて、ところてんや生麩などを製造販売しているそうです。

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同志社大学の「でまち家」、町屋を使って地域コミュニティー活動をおこなっています。ここにも井戸があるそうです。ここは、京都御苑から一筋東の通りです。

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次の目的地は、通りを下ったところにある紫式部の屋敷跡に建つ廬山寺

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この日は桔梗で有名な源氏の庭には行かず、裏手にまわります。

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本堂の裏に来ました。突き当りに慶光天皇の廬山寺陵があります。

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その前に、法成寺東北院にあった「雲水の井」の井戸跡があります。謡曲「東北」にも出てくるそうです。ちなみに、法成寺は藤原道長がこのあたりに建立した東大寺をしのぐほどの大きな寺で、その東北に造られたのが東北院です。

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階段の途中に石仏があります。損傷が激しいのですが、鎌倉後期のものとか。

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廬山寺の裏手には、秀吉が都の防衛のために掘った御土居堀の跡があります。こちらは都の東側で、北野天満宮には西側、鷹ガ峰には北西の堀跡が残っています。

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廬山寺からすぐ近くの、京都御苑東にある梨木神社

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ここには、京都三名水のひとつ「染井」の水があります。

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平安時代に6つの井戸があり、豊かな水がわいて宮中の女官が衣服の染物用に使ったとされます。現在は水量が減り使える井戸はこの「染井」だけです。いつも水を汲む人が絶えません。

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この後、京都御苑に向かいます。

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2008年4月19日 (土)

京の名水3 伏見2

前回は伏見の酒造りに関係する名水を紹介しました。京都盆地は3方を山に囲まれ、降った雨水や流れ込んだ水の多くは伏流水となり、伏見の地下を流れます。今日は、伏見の寺社の境内に湧き出る名水です。

藤森神社
平安期以前、神功皇后が軍旗や武具をこの地に埋め神まつりしたのが始まりと伝えられる。桓武天皇も弓兵政所とした。5月5日の「藤森祭」では、みこしや武者行列が練り、端午の節句に武者人形を飾る風習の始まりとされる。この日は境内で駈馬(かけうま)神事があり、一字書き、藤下がり、さか乗りなどの馬上妙技が披露される。

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不二の水
当社のご神水「不二の水」は「二つとない(おいしい)水」という意味。戦国時代から勝ち運を授ける水といわれ、全国からこの名水のご利益を授かろうと参拝者が絶えません。

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御香宮神社 (ごこうのみやじんじゃ)と御香水
平安期、境内から病気に効く香水がわき出たので清和天皇がこの名を賜ったという。桃山期の特色ある建築物のうち表門や極彩色彫刻の本殿は重文。神功皇后ほかを祀り、豊臣秀吉は伏見城の守り神とした。10月4日~10月12日までの神幸祭は「伏見祭」といわれ伏見随一の祭とされる。

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御香水
霊水信仰が盛んで、伏見の酒造りの生命の水とされている。環境省「名水百選」のひとつ。京都府では他に宮津市の磯清水のみ。

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おみくじ(水占い)も御香水です。

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長建寺
真言宗醍醐派。一般に‘島の弁天さん’と親しまれている。1699年(元禄12)伏見奉行建部内匠頭政宇(たけべたくみのかみまさのき)が中書島開発の際、深草大亀谷の即成就院から塔頭多聞院を分離して創建した。脇仏は珍しい裸形弁財天。7月第4日曜日に弁天祭がある。京都で御本尊が弁財天という寺はここしかない。

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閼伽水(あかすい)
仏様に供える水を閼伽水と呼びます。当寺の「閼伽水」は伏見の良質の地下水と同じ水脈。本尊の弁財天は、古来、インドでは水の神。そのため、弁財天のお堂の多くが池や川のほとりにあります。当寺は水を一番大切にしており、密教十二天のひとつ水天尊もまつられています。

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現在「伏見名水スタンプラリー」(4月5日~5月31日)が開催されています。特に名水といわれている中から11カ所を、特典を利用しながらスタンプを集めていきます。5カ所以上集めると抽選でプレゼントが、11カ所すべてのスタンプを集めると記念品がもらえます(先着1,500名)。ラリー用紙は京阪電車主要駅ほかで配布されます。

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城南宮
平安京遷都に際して都の南方で国を守護する城南宮と仰がれた。当時盛んに行われた熊野三山を初めとする社寺への物詣での際には、方除(ほうよけ)の精進所(しょうじんどころ)にあてられ、旅の安全が祈願された。今日では、普請・造作・転宅・旅行・交通安全など、方除の大社として信仰され、全国よりたくさんの参詣者で賑わっている。

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菊水若水(城南宮)
「菊水若水」は病気平癒の霊験あらたかな神水といわれ、東大寺お水取りの香水は、若狭・遠敷川から「菊水若水」を通り、二月堂の若狭井に達すると伝えられています。

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ちなみに、スタンプラリーの名水には前回紹介した白菊水(鳥せい)、伏水(キザクラカッパカントリー)、さかみづ(月桂冠大倉記念館)と今日の4ヵ所が含まれています。残った4つはまだ行っていません。

桜・藤・つつじと季節の花に彩られた城南宮の神苑は、4月29日と11月3日に「曲水の宴」の舞台になります。城南宮を訪れたのは10月の雨の日でした。

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名水巡りは「・・・その1」に続きます。こちらです。

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