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2010年1月31日 (日)

大将軍神社の謎1 東山三条

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本格的に京都各地を歩き始めた頃、いくつかの「大将軍神社」に出会いました。いずれも観光客の姿をほとんど見かけず、地味な境内にあまり気に留めていませんでした。上の東山三条交差点から西に一筋、南に一筋下がった処に、大将軍神社の一つがあります。

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大将軍神社の由緒が、平安京造営当時に大内裏を鎮護するためにまつられた神社であることを知ったのは、ずっと後のことです。

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垣武天皇が平安京を造営したとき、大内裏の鎮護のため四方四隅に素盞嗚尊(すさのおのみこと)を祀った大将軍神牡のうち、東南隅の一つがこの神社とされています。

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この地は、平安京の東の入り口(三条口あるいは粟田口)の要地にあたり、邪霊の侵入を防ぐために重視されました。

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平安時代中期には、この辺りに関白太政大臣となった藤原兼家の邸宅、東三条殿が建てられました。のちに、子の藤原道長が父の神像を画いて合祀し東三条殿の鎮守としたとされます。

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応仁の乱で東三条殿は破壊されてしまいましたが、境内には菅原道真公を祀る東三條社(天満宮)としてその邸跡を示しています。、

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ところで、江戸時代の百科事典ともいうべき「和漢三才図会」には、大将軍神社の位置を「東は岡崎・・」と書かれています。ここは岡崎から近いとはいえ、岡崎神社の方がぴったりです。実際に、岡崎神社(下の写真)の由緒によると、王城鎮護のため平安京の四方に建立された社の一つで、都の東に鎮座することから東天王と称したとされています。

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岡崎神社とこの大将軍神社はどのような関係なのでしょうか。桓武天皇は王城鎮護のために、その四隅に大将軍神社、四方に四天王を祀ったということなのでしょうか。

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京都には他にも王城を守護するためとされる寺社が沢山あります。桓武天皇がこれほどまでに恐れていたものは何だったのでしょうか。

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つれづれ編は今年初めての更新ですが、これからもよろしくお願いします。

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